東京セブンローズ 上・下 感想

内容(「BOOK」データベースより)
戦局いよいよ見通しのない昭和二十年春のこと、東京根津に団扇屋を営む一市民が、日記を綴りはじめる。その驚倒・讃嘆すべき戦下の日常の細密な叙述には、一片の嘘もなく、まじりっけなしの真実のみ。耐乏に耐乏かさねつつ、人々は明るく闊達そのもの。この奇妙な時空は、悲惨ながら郷愁をさそわずにおかない。そして敗戦、日記はつづく。占領軍は、忌むべき過去を断つべく日本語のローマ字化をはかる…。国家、市民、そして国語とは何なのか?待つこと久し、笑いと勇気、奇想と真率。記念碑的名著ついに完成。

話の舞台は東京の根津(in文京区)で、終戦間際の下町の団扇(うちわ)屋のご主人、山中信介が書いた日記という体裁を取る。初めから終わりまで書き言葉の旧仮名遣いで旧漢字だらけなので、慣れるまではなかなか読み進めず、自分の国語読解力と漢字力に挑戦している気分だった。でも上巻の後半あたりから話に乗りはじめたこともあって、下巻は1日とかからずに読んでしまった。慣れてしまえば、旧仮名遣いも違和感がないものなのかと驚く。

ストーリーは、上巻ではまず信介(語り手)の長女・絹子と大店の息子・古澤忠夫の結婚が決まるところから始まる。上巻の前半はこの二人の結婚式の様子や新生活、古澤家と信介の付き合い、信介自身の仕事など日々の様子が描かれる。上巻の半ばすぎで終戦を迎えてからは戦後の混乱、乗り込んできた占領軍が東京を蹂躙する真っ只中で逞しく生きる人々、米軍の施設になった帝国ホテルに勤める信介の娘たち。その無我夢中の日々の中、七人の薔薇、「東京セブンローズ」が結成される・・・。

「東京セブンローズ」の名が出てくるのはかなり後になってからだが、読み終わってみると本は最初から彼らのことが順々に描かれていたと気がつく。ただ、それ以外の小さなエピソードには書きっぱなしのものや、無理やり終わらせたようなものがあるのは気になった。話の本筋から外れているとはいっても昭一の行動には最後まで不明な点が多々あるし、教育使節団とセブンローズのやりとりもあんなふうに淡々と人から聞いて終わりというのは結末にしては、半端でもの足りなかった。後に話が続いていきそうな終わり方、というのはこういう場合にはどうも複雑な気持ちだ。

この本は終戦間際の庶民の暮らしに密着して話が進むので、当時の生活事情がとてもよく見えてくる。例えば、結婚して25年目の結婚記念日に信介が奥さんに何か欲しいものはあるか、と聞くところで、その「ちょっと贅澤なおねがひ」は「お風呂へ入りたい」!1ヶ月ぶりにお風呂に入ったら、身体を擦つたあと、手拭を洗桶に漬けると、雪花采(おから)そっくりの垢が浮かび、手で掬つて丸めるとゴムマリほどになつた とか平気で書いてある。
さらに、どこの闇市で手に入れた魚や肉を食べただの、物々交換で米と味噌を手に入れたの、もう細かいこと細かいこと。 迫力ありすぎ!あんまりすごくて、不覚にも笑わされてしまうことも。
食糧がないので蟋蟀(こおろぎ)や飛蝗(バッタ)を捕まえて、干して炒って粉にしてカルシュウム源にする ・・・など。個人的には、この本の日本語のローマ字化に反対する、国語を守る云々という事より、終戦前後の人々を描いた部分の方が印象的だった。

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あ〜、読み終わった!(≧▽≦)やたっ♪下巻は昨日読み始めて、今朝読了。旧仮名遣いと言っても、慣れれば全然平気なものだと我ながらビックリ。この本は1982年から17年間『別冊文芸春秋』に連載していたものだそうで、確かにそういうのにピッタリ。日々の暮らしがテーマなのでどこまでも続いていきそうで、間隔を置いて山場・見せ場があり、その都度魅力的な人物、変わった人、新しい人が登場する。松山巌氏の解説の冒頭に「『東京セブンローズ』はまことに不思議な小説である」とあるが、私もそう思う。今まで読んだことのない種類の小説だった。