陰陽師―付喪神ノ巻

丑の刻、貴船神社に夜毎現われる白装束の女が鬼となって、自分を捨てた男を取り殺そうとする。そんな男の窮地を救うため、安倍晴明源博雅が目にしたものは!?女の悲しい性を描いた「鉄輪」他、全七篇。百鬼夜行平安時代。魍魎たちに立ち向かう若き晴明と博雅の胸のすく活躍、魅惑の伝奇ロマンシリーズ第三弾。

陰陽師シリーズも、これで3冊目。1、2巻では作者も手探りな所があったが、この本あたりになるともう完全に話に一定のパターンが出来上がっていて、その型にハマって楽しむ、という感じがした。この本は特に、今までに比べて「陰陽師」という言葉から連想する「ありそうな話」の事件の話が多かった。丑の刻参りや、嫉妬に狂った女が化けて出たり、仲の良い夫婦の夫が死んだのを嘆き悲しんだ妻が理(ことわり)を変えてしまったり・・・。そういう、まぁ行ってみれば「ありがち」で使い古された題材を、(おどろおどろしくなり過ぎずに、でもそれらしく)しっかり読ませるというのは、それはそれですごいことだと思う。楽しく読めた1冊。

◎「瓜仙人」:大きな柿の樹の下で、十人余りの下衆が休んでいる。
帝の使いで出かけた帰りに、奇怪な爺に会った博雅。その爺と「堀川の化物屋敷」の怪異の顛末。「管狐」と聞いた瞬間、思いっきり『地獄先生ぬ〜べ〜』を連想してしまった。ああ、なんて「いかにも」な話・・・素敵すぎ。でも、一つの話の中に他にも複数の要素が入っているのがよかった。

◎「鉄輪」:女が歩いている。白装束である。ただ独りである。
京都の北にある貴船神社に、夜な夜な通う女がいる。白装束、口には釘をくわえ、左手には人形(ひとがた)を、右手には金槌を持って・・・。
うわあああ!!シチュエーションがありがちすぎて、全然怖くなかった。「女の悲しい性」と呼ぶにはありがちすぎてリアリティに欠ける気がしたが、それでも何故か話にのせられてしまう。(^^; この話みたいな後に引くような終わり方は嫌いじゃない。

◎「這う鬼」:秋である。神無月の頃― 冷やひやとした涼しい風が吹く縁に座して、源博雅は酒を飲んでいる。
これも女の執念というか、そういうテーマの話。この「貴子」というのは、結局何者?(^^;どうして独りきりで住んでるんだ?箱の中身がすごい!箱を開けた時、思わずビジュアルで想像してしまって、ぐらっと気が遠くなった(気がした)。「鉄輪」もそうだけど、女の執念とか性(さが)というわりに、ストーリーや描き方がありがちで筋書き通りなのはちょっと白けるぞ。もっと、ぞわ〜っ!と来るような凄みやリアリティがあったらな、とは思った。

◎「迷神」:桜が満開である。枝が、重く下に垂れるほど、みっしりと桜の花が咲いている。
これも引き続き、女の恋とか執念とか、そんな話。冒頭の、清明と博雅の花見のシーンが素敵でよかった。こういう終わり方だと、この女は近々死ぬような気がする。が、まぁこの話の主役は男女ではなくて博雅の笛と桜なのだろうし、こういう終わり方もいいだろう。

◎「ものや思ふと・・・・・・」;初めに、まず、唐という国について、想いを馳せてみたい。
朝廷の歌合せを題材にした、作者の古典文学の研究発表のような話。文献に基づいた史実と、作者のオリジナルを混ぜて作ってあるのだろう。鬼のキャラクターが良かった。この鬼のせいで、話がおもしろくなっていたと思う。

◎「打臥の巫女」:この世をば我が世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば
この詩を詠んだのは藤原道長。その父の藤原兼家が遭遇した怪事件の話。起きたことはオカルトチックでリアリティがないのに、原因の方はいかにもありそう。その落差が読んでいておもしろかった。打臥の巫女の正体に、「なるほど」と納得した。

◎「血吸い女房」:暑い。庭一面に、真上から陽光が注いでいる。庭には、鬱蒼と夏の草が繁っている。
日照りが続くので、雨乞いをして・・・という話。博雅が眠ってしまう所と、その後清明が起こすシーンが印象に残った。というか、印象的すぎて萌えそう(笑