山伏地蔵坊の放浪

土曜の夜、スナック『えいぷりる』に常連の顔が並ぶ。紳士服店の若旦那である猫井、禿頭を光らせる藪歯医者の三島、写真館の床川夫妻、レンタルビデオ屋の青野良児、そしてスペシャルゲストの地蔵坊先生。この先生、鈴懸に笈を背負い金剛杖や法螺貝を携え……と十二道具に身を固めた正真正銘の“山伏”であり、放浪中の体験談だといって殺人事件の話ばかり聞かせてくれる。何だか全国各地で事件に巻き込まれては解決して廻る、漂泊の名探偵という感じなのだ。地蔵坊が語る津々浦々の怪事件難事件、真相はいずこにありや?
<収録作品>
『ローカル線とシンデレラ』 『仮装パーティーの夜』 『崖の教祖』 『毒の晩餐会』 『死ぬ時はひとり』 『割れたガラス窓』 『天馬博士の昇天』

有栖川有栖という作家は、恋愛小説を書かせたら上手いだろうと思うほど柔らかくてロマンチストな時もあれば、あらゆることをさめた目でじーっと観察しているような面もある。話によって、その両面性が交互に現れたり、どちらかが爆発してたりするわけだ。この『山伏地蔵坊の放浪』はさめた視点がかなり強くて、作家アリスと火村の活躍する短編集などとはまったく違う雰囲気だった。
まず名探偵役である山伏の地蔵坊という人が怪しさ大爆発!全編、青野という「32才の青年」の一人称なのだけど、彼の目から見た地蔵坊というのは、山伏の格好をしてはいるけど言動がかなり胡散臭い。語られる「体験談」とやらはどれもウソか本当か分からない。内容やトリックはわりとアッサリしていて短いが、事件そのもののよりも謎めいた地蔵坊という人物との対話を(「えいぷりる」の常連客たちが)楽しんでいるようだ。どういうわけかいつも事件の現場に居合わせて、それを「えいぷりる」語っていると自称する山伏の地蔵坊。彼の存在そのものが一番の謎だ、みたいな雰囲気。